12:08 折り返しても地獄は地獄


地獄にも始まりがあれば終わりがある。終わりが見えないから地獄であるのならば、折り返し地点に到達すれば地獄の「地獄度」は下がるはず・・・と期待していたが甘かった。スポーツウォッチの心拍数計は、走るとすぐに160を超える。100メートル走って300メートルくらい歩くを繰り返す。するとだんだん、歩いているだけでも普段のジョギングトレーニング時の心拍数=140~150近くにまでしか下がらない状態になる。これはまずい。でも前に進まないと関門時間が迫る・・・。
そしてもう一つ、妻と30km地点で待ち合わせて飲み物をもらうというミッションも設定していた。真夏日にこそ達してないが、過酷な新川通で妻を待たせるのは申し訳ない。早く到着したい。でも走る4割、歩く6割、走る2割、歩く8割と、ペースダウンだけがどんどん加速していく。「走れメロス」の心境って、こんな感じだったのだろうか。なんて思う余裕もない。
12:30 音楽は言葉を超える 「地獄」を地獄にしているのは私かもしれない
30km地点まで行ければいい。妻と会えればいい。折り返し地点を過ぎて、それだけ考えることにして東へ向かい始めると、新川高校のブラスバンドが「負けないで」を演奏してくれた。この曲だよ!明るいメジャーコード。坂井泉水のビューティフルすぎる歌詞。「頑張れ」じゃなくて「負けないで」。なんて良いワードを選んだんだろう。歌がないブラスバンドだからこそ、あの歌詞がリアリティを持って自分に降りかかってくる。30km関門は突破できるかもしれない。しかし次の35km関門は厳しいかもしれない。

でも、前に進まないと時間の壁が私の背中のすぐそこまで追いかけてくる。何から負けないのか。何に負けないのか。新川通の地獄の正体は何だ?はっきり見えた気がした。関門だ。関門の制限時間だ。30km地点を無事に突破し、妻からポカリスエットをもらい「もしかしたらダメかもー」なんて弱気を吐いたかもしれないが、敵が見えてからは、関門時間の対処法が分かったような気がする。
そしてスマホで大会公式サイトを逐一確認し、関門閉鎖時間と時計のにらめっこがはじまり、写真を撮る余裕が完璧になくなった。
13:51 「あと5km」に涙腺崩壊
12時44分ごろに30km地点を過ぎ、残り12km。ここまでの所要時間は約4時間。理論上は30kmまで3時間30分で到達すれば、残りの12kmは全行程を歩いて「完走」できる計算だった。つまり残り12kmを2時間以内に走破するには「少し走って、疲れたら歩く」を繰り返せばいい・・・のだが、この大会はそう甘くはない。5kmおきの関門はほぼ40分おきなのだが、30km→35kmだけは40分以下(正味38分くらい)。難関の35km関門までは混雑している給水ポイントをパスし、手持ちのポカリでしのぐ。この作戦が成功して、関門閉鎖4分前にギリギリで通過した。妻に感謝だ。
32キロを過ぎたときは「残り10km切っている!」っていう喜びよりも、まだ9km台も残っているという不安のほうがはるかに大きかった。持参したノイズキャンセリングのイヤホンでドラムンベースを大音量でかけて、強制的に走らせるモードに自分を放り込んで、沿道からの無慈悲な「頑張れ」をかき消す。残存能力が限りなくゼロに近いとき「頑張れ」は鋭利なナイフみたいに聞こえる。って書くとちょっと大げさだけど、頑張ってるんですよ。練習不足の私でも。歩いてるけどさ!むしろ頑張ってもこれ以上、力を出せないんだよね(泣)歩いてるけどさ!それでも頑張れって言うのは「死ぬ気で力を出せ」ってことなのかい? そんなんで死にたくないよぉ。映画「もののけ姫」みたく「生きろ」って自分に言い聞かせるしかない。

考え始めるとノイズになる。考えるな。前へ進め。前に進んでいるだけで偉い。ノイズに負けるな。自分に負けるな。「頑張れ」に負けるな!いや待てよ、頑張れにイラつき、ムカつき、「それはあんまりだよ」「むしろ、ふざけんじゃねえ!」って思うことが効果的なのか? 少しずつ負のエネルギーを「正」に転換する思考が変わっていく。ほら、マイナスとマイナスを掛け算するとプラスになるでしょ。あの数学のマジックだ。久しぶりにこの「負の正転換回路」が作動した。「ふざけんじゃねえよ、このやろー(笑顔)」って笑いながら怒る竹中直人みたいになっていたような、なっていないような状態で、35km関門を制限時間残り5分前で通過。そして「あと5km」の看板が目に入った時、目に涙が浮かんだ。
こんな練習不足の私でもここまで来られたんだ・・・。とりあえず頑丈な体で生んでくれた両親と、頑丈な体をキープしてくれている妻に感謝しようと思った。
14:28 栄光のゴールへ向かって・・・走れるか?
JR学園都市線の新川駅付近をかすめ、環状通のエルムトンネルの手前から札幌工業高校をかすめ、北大構内に入る。大学構内にある40km関門も締め切り4分前でギリギリ通過したとき、思わずガッツポーズ。だがここで緊張の糸が切れた。あとはぶっ倒れない限り、歩けばゴールできる状態になったから。北大~JR札幌駅北側付近では、私の周囲のランナーたちもほとんどが歩いていた。

もはやマラソン大会というよりも「公式的に車道を堂々と歩いてもいい大会状態」だ。ランナーというよりも。ウォーカーだ。何も知らない人が見たら「あの人なんで歩いてんの?」「ゴールすぐだから走れよ」って思うだろう。そしてそういう人こそ「頑張れって」平気で言うんだろうな。なんてことを竹中直人の「笑いながら怒る人」の心境で考えたり考えなかったりしながら、JRの高架を過ぎようとした。すると不意に特急北斗だろうか、ディーゼルエンジンを震わせた車両がゆっくりと札幌駅に吸い込まれていった。私を含むたくさんの「歩行者たち」を見おろしながら。
14:31 道庁赤れんが前・・・帰ってきた!

最後の41.5km関門が赤れんが前。14時45分の最終締め切り時間の約4分前に通過した。リニューアル工事を終えた道都のシンボルが、8月の西日に照らされてレトロな色合いのレンガを輝かせている。周囲の木々の緑はおだやかだ。
「ここまで来たら大丈夫」


だってほら、建物や木々を見てここまでの感慨にひたれるくらいだから・・・。あれだけ敵視・危険視していた“制限時間の壁という地獄”と友達になったような、おだやかな心境だ。制限時間と私が同じペースで進めることの喜び。制限時間っていいやつじゃん!と受け止める勝手極まりない自意識を笑い飛ばしつつ、赤レンガテラスを右折し、駅前通りへ。
14:35 最後の直線 駅前通り

駅前通りの最後の直線を見上げる。ビルとビルの間に青い空と雲が浮かぶ。あれだけ関門と時間に板挟みになっていた自分が、嘘のようにゴールへと向かっている。卒業式を間近に控えた高校3年生の心境に近いかも。
赤れんがテラスを右折し、駅前通をスタート地点の大通方向へ南下する。少しずつゴールが見えてくる。12年前にゴールしたときは、駅前通から大通公園を右折したところにゴールがあったように記憶しているが、今回は直進してフィニッシュラインに入るようだ。
「やった!ゴールが近づいてる」というよりも「やっとゴール手前まで近づけた・・・」というのが正直な感想でした。

14:39 ゴールはあっけなく

「あれ?これがゴールなんだ」
12年前は大通公園を右折してゴールしたように記憶している。少し呆気にとられながらも、SEIKOの黄色い公式タイマーと、FINISHの看板に吸い込まれるように向かって、最後のセンサーを踏んで、私の3度目の挑戦は終了。
42.195kmを5時間48分06秒で「完走」した。
今年は札幌の真夏日の合計日数が過去最多を更新するくらい暑い夏だった。仕事は深夜に終わる職場だから、涼しい早朝のトレーニングも難しく、明らかにトレーニング不足だった。完走できるか否かきわどい状態だった。分からないから、ダメ元で挑んでみた。決して安くない参加料払ったし、出ないのはもったいない。たぶん完走できないかもしれない。ならスマホ持って写真撮りまくろう。そう思って、スタートラインに立った。

一度だけ30km走にチャレンジして4時間で走った結果をもとに、AIと何度もペース戦略を練った。いろいろな条件を考慮して導き出した答えが「30kmまで4時間で行けばなんとかなる」プランだった。この大会はその実践の場でもあった。厳しく苦しい状況にも見舞われたが、なんとか想定通りの結果になったと思う。
今回は最高気温が想定よりも低かったこともあり、エイドの給水で水分補給がしっかりできたのが大きかった。これで気温が2、3度高ければ、給水所で「売り切れ」が続出しただろうから、完走は難しかったはずだ。
完走すればすべて良し、なんだろうけど、でも全行程の3分の1を歩いてまで「走った」って言えるのか・・・。
オール「可」で大学を卒業した学生の気分で、会場を去った。
